東京高等裁判所 平成6年(行ケ)69号 判決
大阪府門真市大字門真1006番地
原告
松下電器産業株式会社
同代表者代表取締役
森下洋一
同訴訟代理人弁護士
中村稔
同
松尾和子
同訴訟代理人弁理士
大塚文昭
同
竹内英人
同
平井正司
同
滝本智之
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 荒井寿光
同指定代理人
臼田保伸
同
及川泰嘉
同
関口博
主文
特許庁が平成1年審判第7651号事件について平成6年2月2日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
主文と同旨の判決
2 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和57年11月18日、名称を「磁気記録媒体」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和57年特許願第202992号)したが、平成1年3月2日拒絶査定を受けたので、同年5月2日審判を請求し、平成1年審判第7651号事件として審理された結果、平成6年2月2日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年3月7日原告に送達された。
2 審決の理由
(1) 手続の経緯等
本願は、昭和57年11月18日に出願されたものであって、平成5年10月12日付け手続補正により補正された明細書及び図面の記載からみて、「磁気記録媒体」に関するものである。
(2) 当審の拒絶理由
当審において、平成5年7月2日付けで次のとおりの拒絶の理由を通知した。
「本願は、明細書及び図面の記載が下記の点で不備のため特許法第36条第3項及び第4項に規定する要件を満たしていない。
記
本願明細書第6頁第20行~第7頁第19行の「本発明に適した高さは・・・10万個/mm2以下がのぞましい。」として、2種類の粒子状突起の高さh1およびh2をそれぞれ、h1=30~200Å、h2=100~600Åとし、粒子状突起の密度を高さh1のもの及び高さh2のものをそれぞれ10万個/mm2以上、10万個/mm2以下とすることが記載されているが、表-1の実施例1~4では、粒子状突起の高さでh1=100Å、h2=500或いは550Åとし、突起密度でh1のものが20万個/mm2或いは200万個/mm2、h2のものが5000個/mm2、1万個/mm2或いは5万個/mm2とする場合のデータが示されているだけで、上記粒子状突起の高さ、h1×3≦h2及び該突起の密度の数値範囲の特定が、高湿中での鳴き防止効果、出力低下防止、エンベロープの乱れの減少、すぐれた走行の安定性及び耐久性の作用効果をもたらす点については、なんら具体的な実験データが示されておらず、不明である。
従って、本願発明における数値限定の構成要件に基づく作用効果が当業者が容易に理解できる程度に記載されておらず、発明の詳細な説明において、本願発明の目的、構成及び効果が当業者が容易に実施できる程度に記載されているものとすることができない。」
(3) 明細書の記載事実
補正された明細書には、本願特許請求の範囲には、発明の構成の項に対応して、「プラスチックフィルム面上に、微粒子を核とし平均高さが30~200Åの第1の粒子状突起と微粒子を核とし平均高さが100~600Åで前記第1の粒子状突起より大きい第2の粒子状突起を、前記第1の粒子状突起密度が前記第2の粒子状突起より大きくなるように形成し、前記第1、第2の粒子状突起及び前記フィルム面上に強磁性薄膜を形成したことを特徴とした磁気記録媒体。」と記載され、第1及び第2の粒子状突起の高さの数値範囲の特定、第1の粒子状突起より大きい第2の粒子状突起を、前記第1の粒子状突起密度が前記第2の粒子状突起密度より大きく形成する根拠については、明細書第6頁末行~第7頁第15行において、「本発明に適した高さはより小さな核で構成されている粒子状突起21、21′においては30~200Å、大きな核である構成されている粒子状突起22、22′においては100~600Åの範囲であり、前者の高さをh1、後者の高さをh2とすると、両者の関係はh1<h2であり、h1が30Å近くに小さい場合はh1≦h2/3である方が好ましい。一般的に30Å以下の核のみで粒子状突起を構成すると高湿中での鳴き防止効果が得られ難く、500Å以上の核のみで粒子状突起を形成すると出力の低下やエンベロープの乱れを生じやすくなる。本発明のごとく、前記2種類の粒子高さh1、h2からなる粒子状突起を用い、再生出力特性を決める高さh1の突起密度を、走行性に働く高さh2の密度より大きくなるように考慮してやると高湿中での鳴き防止効果があり、しかも出力の低下量が極めて少なくエンベロープの乱れも少なく、さらに走行の安定性及び耐久性に優れた磁気記録媒体を得ることが出来る。磁気ヘッドとの接触において、粒子状突起21、21′はその密度が大きいために、この粒子状突起のもつ平均高さh1は、磁気テープ・ヘッド間の距離(スペーシングと呼んでいる)として主に寄与するものである。このためスペーシングの発生に伴う再生出力を良好な状態に維持するためには粒子状突起21、21′のもつ平均高さh1は極めて小さい方が望ましく、実際には、粒子状突起21、21′の平均高さh1は、30~200Åが望ましい。一般的に30Å以下の粒子状突起で構成されると、高湿中で回転ヘッド内のシリンダー部に鳴きが発生し、再生出力に安定性を欠くことになり、また200Å以上の粒子状突起で構成すると磁気テープへの録再で再生画質の劣化が顕著にあらわれる。平均高さが大きくしかも密度が小さい粒子状突起22、22′は、磁気テープの走行性に付加した働きをもつものであり、100Å以下の平均高さ(表面粗さとも言える)では、摩擦係数が極めて高くなり、600Å以上では摩擦現象により磁気ヘッドへの摩擦が顕著になるために、粒子状突起22、22′の平均高さh2は、100~600Åが望ましい。なお、特に平均高さh1を30Å近くに小さく選択する場合、平均高さh2は、平均高さh1の約3倍以上が望ましく、この場合もh2を100Å以上にすればよい。また、粒子状樹脂突起の密度としては、高さh1を有する粒子状突起21、21′のものは、10万個/mm2以上、高さh2を有する粒子状突起22、22′のものは10万個/mm2以下がのぞましい。」といった説明がされている。
(4) 当審の判断
〈1〉 本願に係る「磁気記録媒体」は、平均高さが30~200Åの第1の粒子状突起と、前記第1の粒子状突起より大きい平均高さが100~600Åの第2の粒子状突起とを、前記第1の粒子状突起密度が前記第2の粒子状突起密度より大きくなるように、プラスチックフィルム面上に形成する構成を採ることによって、高湿中での鳴きを改善し、併せて再生画質を改善し、しかも走行の安定性及び優れた耐久性の磁気記録媒体を提供することを目的としたものであるから、前記の第1及び第2の粒子状突起に関する構成は、前記「磁気記録媒体」における不可欠な事項であるといわなければならない。
〈2〉 しかしながら、本願の発明の詳細な説明では、「30Å以下の核のみで粒子状突起を構成すると高湿中での鳴き防止効果が得られ難く、500Å以上の核のみで粒子状突起を形成すると出力の低下やエンベロープの乱れを生じやすくなる。」と記載されているが、30Å以下で鳴き防止効果が得られ難いという具体的なデータが示されておらず、500Å以上で出力の低下やエンベロープの乱れを生じやすくなるという具体的なデータが示されていないと共に、この記載は、実施例の表-1の比較例(9)における400Å(500Å以下)の場合の出力結果と整合していない。
また、本願の発明の詳細な説明では、平均高さがh1=30~200Åである第1の粒子状突起と平均高さがh2=100~600Åである第2の粒子状突起の2種類の粒子高さからなる粒子状突起を用いる場合、h1が再生出力特性を決めること及びh2が走行性に働くことについては、何ら具体的なデータが記載されておらず、平均高さh1が30Å以下のとき高湿中で回転ヘッド内のシリンダー部に鳴きが発生し、再生出力に安定性を欠くこと及び平均高さh1が200Å以上のとき磁気テープへの録再で再生画質の劣化が顕著にあらわれることの具体的な根拠が示されていない。
さらに、平均高さh2が100Å以下のとき摩擦係数が極めて高くなり、600Å以上のとき摩擦現象により磁気ヘッドへの摩擦が顕著になる点についても、具体的な根拠が示されていない。
〈3〉 そして、(a)本願の発明の詳細な説明では、表-1に示されたように、第1の粒子状突起の平均高さh1と第2の粒子状突起の平均高さh2の組み合わせ及び両粒子状突起の密度の組み合わせが、それぞれ(100Å、550Å)及び(20万個/mm2、5000個/mm2)、(100Å、550Å)及び(200万個/mm2、5000個/mm2)、(100Å、550Å)及び(200万個/mm2、5万個/mm2)及び(100Å、400Å)及び(20万個/mm2、1万個/mm2)である試料の実施例1~4について、滑剤を存在させて、試作ビデオテープの鳴き、出力、スチル寿命、動摩擦係数、走行の安定性及びキズの諸特性の測定結果を得ること、比較例(5)~(9)は、高さ100Å、高さ400Å及び高さ550Åの粒子状突起単独で、滑剤を存在させた試料E~Iについての前記諸特性の結果を得ること、並びに、滑剤の存在しない試料J、A、Eについての前記諸特性を得ることが記載されているだけで、(b)相異なる平均高さの第1及び第2の粒子状突起の組み合わせの場合、第1の粒子状突起の平均高さの上限・下限及び第2の粒子状突起の平均高さの上限・下限についての前記諸特性における技術的意義並びに第1の粒子状突起より大きい第2の粒子状突起を、前記第1の粒子状突起密度が前記第2の粒子状突起密度より大きくなるように形成する構成による前記諸特性における技術的意義(第1の粒子状突起密度より大きい第2の粒子状突起密度の場合の比較例)を裏付ける具体的データが示されていない。
〈4〉 よって、本願発明のように第1と第2の粒子状突起の各数値範囲や、第1と第2の粒子状突起の平均高さ及び両突起密度での大小関係を特定することによる作用効果については、当業者が容易に理解し得る程度に記載されていないので、不明である。
したがって、特許請求の範囲に記載された構成、即ち、第1及び第2の粒子状突起の平均高さの各数値範囲の限定事項と、両粒子状突起の相異なる平均高さ及び両粒子状突起密度における大小関係の特定によっては、テープ鳴き、再生画質の劣化、ヘッド摩耗及びエンベロープの乱れを防止するという本願明細書に記載された作用・効果を奏するということはできないものである。
(5) むすび
以上のとおりであるから、本願明細書に記載されたものは、発明の構成と目的・効果との関係が不明である。
したがって、本願は、前記手続補正によるも、特許法36条3項及び4項(注 昭和60年法律第41号によるもの)に規定する要件を満たしていないので、拒絶すべきである。
3 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)ないし(3)は認める。同(4)〈1〉は認める。同(4)〈2〉は争う。同(4)〈3〉(a)は認める。同(4)〈3〉(b)、(4)〈4〉、(5)は争う。
審決は、特許法36条3項及び4項の解釈を誤って、同各法条の趣旨を超えて明細書中に過度に詳細な記載を要求し、本願は同各法条に規定する要件を満たしていないものと誤って認定、判断したものであるから、違法である。
(1) 本願明細書の特許請求の範囲に記載のとおり、本願発明は、磁気記録媒体のプラスチックフィルム面上に、微粒子を核として平均高さh1が30~200Åの第1の粒子状突起と、これより大きい、平均高さh2が100~600Åの第2の粒子状突起を設け、第1の粒子状突起が第2の粒子状突起より密度を大きくした強磁性薄膜を形成したことにある。そして、発明の詳細な説明によれば、平均高さh1を有する粒子状突起は10万個/mm2以上、平均高さh2を有する粒子状突起は10万個/mm2以下が望ましく、平均高さh1を30Å近くに小さく選択する場合、平均高さh2は平均高さh1の約3倍以上(h1≦h2/3)が望ましい。
本願発明の目的及び効果は、(イ)磁気記録媒体の走行の安定性を高め高湿中での鳴きを防止し、かつエンベロープの乱れを少ないものとし、(ロ)再生画質ないし再生出力特性の改善をはかり、かつ(ハ)優れた耐久性のある非バインダー型磁気記録媒体を提供することにある。
(2) 審決は、本願発明の上記各特徴につき、本願明細書中に具体的なデータ、具体的な根拠がないとしている。しかし、以下述べるとおり、この点に関する審決の認識及び判断は誤りであり、発明の開示は当業者が容易に実施できる程度に記載すればよいのであって、常にすべての数値範囲にわたって具体的なデータなどを表示することまでが要求されるわけではない。本願明細書の記載によれば、当業者が十分に本願の目的及び効果を理解することができる。
〈1〉 走行の安定性について(高湿中での鳴き及びエンベロープの乱れ防止を含む)
表面粗さが比較的小さい場合、すなわち30Å以下の核のみの小さい粒子状突起で磁気記録媒体を構成した場合には、真実接触面積が増大するため剪断抵抗が大きくなり、したがって、摩擦が大きくなる(甲第9号証の2・4、甲第10号証の2、甲第11号証の5・7、甲第12号証)。互いに接触する二表面間にすべりを生じる場合、微視的にみると、真実接触部が接着状態にあって、互いにすべりを生じていない引っ掛かり(ステック)状態と、その接着力に打ち勝っ剪断により二表面間に相対的移動、すなわちすべりを生じている(スリップ)状態とが交互に起こる。これをステック・スリップ現象と呼び、いわゆる「鳴き」の原因であると一般に理解されている(甲第9号証の3・5、甲第13号証)。そして、このステック・スリップによる鳴きは表面の凹凸が細かいほど起こりやすいことも当業者間では経験則的に知られている。また、高湿になると、摩擦係数が急激に増大するため(甲第9号証の6)、鳴きが発生し易くなることも当業者間によく知られている。言い換えれば、「30Å以下の核のみで粒子状突起を構成すると、高湿中での鳴き防止効果が得られ難い」のであって、本願出願時の当業者の技術水準によれば、具体的なデータを必要とすることなく容易に本願発明の実施が可能である。
以上とは逆に、磁気記録媒体の表面に高い山、すなわち本願発明のh2を構成して表面を粗くすると、その周囲にヘッドと接触しない領域が発生し、山を高くする程ヘッドとの非接触距離が拡大し(甲第11号証の6)、剪断抵抗(真実接触面積)が小さくなるから、摩擦係数が減少して走行性がよくなる。言い換えれば、本願出願時に自明であった技術水準により、h2が走行性に働くことは当業者にとって十分理解できるところである。しかし、h2が500Å以上の核のみの粒子状突起で形成されるならば、磁気記録媒体表面とヘッドとの距離(スペーシング)が大きくなるため、出力が低下するので(甲第10号証の2、甲第11号証の2・3、甲第12号証、甲第14号証の4)、わずかな外乱要素の影響を受けやすくなり、その結果、エンベロープの乱れが発生しやすいことになるのである。
上記のとおり、磁気記録媒体上にh1及びh2の高さの異なる粒子状突起を形成することによって、h1の高さからなる粒子状突起又はh2の高さからなる粒子状突起のみによって形成した場合には達成できない前記効果を実現するものであって、これは、本願明細書の記載を出願当時の技術水準を前提として読むならば、当業者が容易に実施できるものである。
審決は、「h1が再生出力特性を決めること及びh2が走行性に働くことについては、何ら具体的なデータが記載されていない」としているが、本願明細書(甲第2号証)の実施例1と比較例6、実施例2と比較例7、並びに実施例1及び実施例5(表-1の(11))と比較例6を対比して検討するならば、h1が出力特性を決め、h2が走行性に働くことは十分理解できたはずである。
〈2〉 再生画質ないし再生出力特性の改善について
本願発明では、h1の高さを有する粒子状突起の密度がh2の高さを有する粒子状突起の密度より大きい。したがって、磁気記録媒体とヘツドとの距離(スペーシング)は主にh1により決定されるから、h1が再生出力特性を決めることは、具体的なデータを示さないでも当業者にとり本願出願時の技術水準から容易に理解できるところである。また、磁気記録媒体の表面が平滑になる程、均一で大きな出力が得られ、逆に、表面の粒子系の増大によって出力が低下することも、すでに本願出願時の当業者の技術知識となっていたところである(甲第11号証の3)。そして、h1の平均高さが磁気記録媒体の性能全体に及ぼす定性的な傾向についての基礎的な知識に基づき、その具体的数値は、本願出願時の一般的なビデオテープの表面粗度(150Åないし200Å)、並びに、出力を低下させることになる大きい平均的高さh2の粒子状突起の良い方向の特性を利用することを考慮すれば、当業者であれば、h1の高さの上限を200Å以下にすることが望ましいとすることは容易に理解できたところである。
〈3〉 耐久性について
磁気記録媒体の走行性が優れていることは耐久性がよいことにほかならず、特に説明するまでもなく、当業者に理解できるところである。
(3) 審決が本願明細書の表-1に記載されたところについて種々指摘していることの骨子は、粒子状突起の平均高さh1及びh2の上限・下限、並びに密度の特定につき具体的なデータが示されていないという点にある。しかし、本願発明は構造的な構成に特徴を有するものであり、数値範囲は単に出願人が保護を求める範囲を具体的に特定したものにすぎない。本来、特許法36条3項は、数値その他の記載によって当業者が発明を実施することが可能であることを要求するまでであって、その数値の技術的意義を解明して明確にすることまで要求するものではなく、まして、出願人が保護を求める数値範囲外のデータまで要求するものではない。また、特許法36条4項は、特許請求の範囲に発明の構成に不可欠な要件を明瞭に記載すべきことを要求するものであって、数値範囲の技術的意義を明確にすることまでも要求するものではない。
本願明細書の発明の詳細な説明には、本願発明を実施するうえでの好ましい実施例が開示されており、当業者は、この実施例によることで本願発明の実施を容易に行うことができる。したがって、本願明細書は、これのみで特許法36条3項の要件を充足するものである。また、特許請求の範囲の記載は、それ自体明瞭であって、発明の構成不可欠要件を明確に記載してある。したがって、特許法36条4項の規定に違反するという理由もない。
第3 請求の原因に対する認否及び主張
1 請求の原因1及び2は認める。同3は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。
2 主張
(1)〈1〉 本願の発明の詳細な説明では、表-1に示されたように、実施例1ないし4について、滑剤を存在させて、試作ビデオテープの鳴き、出力、スチル寿命、動摩擦係数、走行の安定性及びキズの諸特性の測定結果を得ること、比較例5ないし9は、平均高さ100Å、400Å及び550Åの粒子状突起単独で、滑剤を存在させた試料E~Iについての上記諸特性の結果を得ること、並びに、滑剤の存在しない試料Jの比較例10、実施例11及び比較例12についての上記諸特性を得ることが記載されているにすぎない。すなわち、第1、第2の粒子状突起の平均高さをh1、h2〔Å〕、第1、第2の粒子状突起の密度をρ1、ρ2〔個/mm2〕とすると、(h1、h2)=(100Å、550Å)及び(100Å、400Å)のときのρ1>ρ2の場合についての効果が記載されているだけで、本願発明の構成である数値範囲に含まれていて上記以外の(h1、h2)の値及び(ρ1>ρ2)における効果については何の記載もない。また、本願発明は、(h1、h2)=(100Å、550Å)及び(100Å、400Å)のときのρ1>ρ2の効果が判れば、それ以外の領域においてその効果を確認もしくは推認しうるものでもない。したがって、本願の発明の詳細な説明には、(h1、h2)=(100Å、550Å)及び(100Å、400Å)のときの(ρ1>ρ2)の場合以外のh1=30~200Å、h2=100~600Åのときのρ1>ρ2の場合の発明が実質的に記載されておらず、特許請求の範囲に記載された発明と発明の詳細な説明に記載された発明とが正確に対応していない。
よって、特許法36条4項の規定を満たしていない。
〈2〉 特許請求の範囲には本願発明の構成であるh1=30~200Å、h2=100~600Åのときのρ1>ρ2なる構成が記載されているところ、発明の詳細な説明には、相異なる平均高さの第1及び第2の粒子状突起を組み合わせる場合のh1の上限・下限及びh2の上限・下限についての諸特性における技術的意義、並びにρ1>ρ2のように形成する構成による諸特性における技術的意義、すなわち2種類の粒子状突起の各数値範囲の限界値及び上記両突起の密度の大小関係の特定に基づく効果とか、それ以外の数値範囲を採る場合に比べての効果とか、あるいは当該数値範囲のうちの相当広い領域についての効果とかについて、実施例として具体的データにより示されていない。したがって、発明の詳細な説明の記載では、当業者が本願発明の構成に基づく特有の効果を奏することを的確に理解することができず、当業者は明細書の記載に基づいて容易にその発明の実施をすることができない。
よって、特許法36条3項の規定を満たしていない。
(2) 本願明細書の記載についての審決の具体的認定、判断が正当であることは、以下のとおりである。
〈1〉 30Å以下の核のみでは鳴き防止効果が得られ難い点について
原告は、甲第9号証の2・4、甲第10号証の2、甲第11号証の5・7、甲第12号証を引用して、30Å以下の核のみの小さい粒子状突起で磁気記録媒体を構成した場合には、真実接触面積が増大するため剪断抵抗が大きくなり、摩擦が大きくなることは本願出願時に当業者の技術水準である旨主張するが、上記各証拠には、原告主張の趣旨の内容については何ら記載されておらず、原告の主張は失当である。
甲第10号証の2は、本願発明のような非バインダー型(強磁性薄膜)磁気記録媒体に関するものでなはく、バインダー型(塗布型)磁気記録媒体に関するものであり、ベースフィルム面の表面粗さがRrms表示で約0.035μm(350Å)以下のところでは動摩擦係数が急に大きくなっていくと記載されているだけで、この表面粗さのRrms(二乗平均値)表示は本願発明の粒子状突起の平均高さ表示とは異なるものである。
甲第11号証の5・7は、甲第10号証の2と同様の記載内容で、本願発明とは異なるバインダー型磁気記録媒体において、単に表面粗さが細かくなると摩擦係数が高くなると記載され、この記載での表面粗さの単位は同様にRrmsである。
甲第12号証に記載のベースフィルムの支持体の表面粗さは、中心線平均粗さで表示されており、やはり本願発明の平均高さ表示とは異なるものである。
また原告は、ステック・スリップによる鳴きは表面の凹凸が細かいほど起こりやすいことも当業者間では経験則的に知られている旨主張しているが、平均高さが30Å以下の核のみでは鳴き防止効果が得られ難いことは本願出願時の技術水準とはいえない。
〈2〉 500Å以上の核のみでは出力低下やエンベロープの乱れが生じやすくなる点について
500Å以上の核のみで粒子状突起を形成すると出力の低下やエンベロープの乱れを生じやすくなることが、本願出願時の技術水準であることを裏付ける証拠はない。
甲第11号証の2・3には、非バインダー型磁気記録媒体において、基板の表面は短波長記録での性能を向上させるため500Å以下の表面粗さが要求されることなどが記載されているが、ここでいう表面粗さは本願発明の平均高さとは異なるものである。
本願明細書には、500Å以上の核のみで粒子状突起を構成すると出力の低下を生じやすくなる旨記載されているが、比較例9は、平均高さ400Åであっても出力は-0.5dBと低下しており、比較例5は550Åであっても出力は0dBであり、上記記載と整合しない。また、比較例9の出力は低下していないというのならば、比較例5、比較例8ともに500Å以上の550Åの粒子状突起であるにもかかわらず、出力は低下していないことによって、やはり上記記載と整合しない。
〈3〉 h1が再生出力特性を決め、h2が走行性に働く点について
原告は、本願明細書の実施例1と比較例6、実施例2と比較例7、実施例1及び実施例5(表-1の(11))と比較例6を対比して検討すれば、h1が再生出力特性を決めること及びh2が走行性に働くことは十分理解できたはずであると主張するが、上記組み合わせの例では、h1が共に含まれ出力特性に影響を与えているとはいえない。一方、実施例1及び実施例5(両者共にh1=100Å、h2=550Å)と比較例5(h2=550Å)とを対比すると、出力特性に変化がなく、h1=100Åの追加により動摩擦係数の変動が少なくなり走行性を安定させることを示している。実施例3と比較例8、実施例4と比較例9、実施例5と比較例12を対比する場合も同様に、h1の追加による出力特性への影響はなく、h1による走行性安定化の効果が示されていることになるから、h1が出力特性を決め、h2が走行性に働くことは十分理解できたとする原告の主張は失当である。
〈4〉 h1、h2の上限値及び下限値の根拠について
上記のようにh1、h2が単独の場合でも、数値範囲の具体的根拠が示されておらず、ましてや、2種類の粒子状突起がある場合のh1、h2の下限あるいは上限における技術的効果については、何ら根拠が示されていない。
また、粒子の密度についても具体的なデータによる根拠は示されておらず、ρ1>ρ2とする根拠もない。
第4 証拠
本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。
理由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)及び2(審決の理由)については、当事者間に争いがない。
そして、審決の理由(2)(拒絶理由の内容)及び(3)(明細書の記載事実)についても、当事者間に争いがない。
2 そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。
(1) 本願に係る「磁気記録媒体」は、平均高さが30~200Åの第1の粒子状突起と、第1の粒子状突起より大きい平均高さが100~600Åの第2の粒子状突起とを、第1の粒子状突起密度が第2の粒子状突起密度より大きくなるように、プラスチックフィルム面上に形成する構成を採ることによって、高湿中での鳴きを改善し、併せて再生画質を改善し、しかも走行の安定性及び優れた耐久性の磁気記録媒体を提供することを目的としたものであり、第1及び第2の粒子状突起に関する構成は、上記「磁気記録媒体」における不可欠な事項であること、本願明細書の発明の詳細な説明では、表-1に示されたように、第1の粒子状突起の平均高さh1と第2の粒子状突起の平均高さh2の組み合わせ及び両粒子状突起の密度の組み合わせが、それぞれ(100Å、550Å)及び(20万個/mm2、5000個/mm2)、(100Å、550Å)及び(200万個/mm2、5000個/mm2)、(100Å、550Å)及び(200万個/mm2、5万個/mm2)及び(100Å、400Å)及び(20万個/mm2、1万個/mm2)である試料の実施例1ないし4について、滑剤を存在させて、試作ビデオテープの鳴き、出力、スチル寿命、動摩擦係数、走行の安定性及びキズの諸特性の測定結果を得ること、比較例(5)~(9)は、高さ100Å、高さ400Å及び高さ550Åの粒子状突起単独で、滑剤を存在させた試料E~Iについての前記諸特性の結果を得ること、並びに、滑剤の存在しない試料J、A、Eについての前記諸特性を得ることが記載されていることについては、当事者間に争いがない。
(2) まず、本願発明の構成と作用効果との対応関係について検討する。
〈1〉 本願明細書の発明の詳細な説明には、本願発明の「産業上の利用分野」について、「磁気記録媒体とりわけ磁性層が強磁性薄膜で構成されバインダー、添加剤等を含まない非バインダー型磁気記録媒体に関するものであり」(甲第2号証1頁18行ないし20行)と記載され、「従来例の構成とその問題点」について、「非磁性基板上に、磁性層が真空蒸着・・・等の薄膜形成手段を駆使して、磁性薄膜のみで構成され、バインダー、添加剤が含まれない非バインダー型磁気記録媒体は短波長での電磁変換特性に優れているため、高密度用の磁気記録媒体であると言われている。この高密度化を実現するためには、磁気ヘッドのギャップを小さくし、併せて磁気記録媒体の表面を平滑化せしめてスペーシングロスを極力減少せしめる必要がある。しかし、あまり表面を平坦化しすぎると、ヘッドタッチ、走行性で支障をきたすため、表面の微細形状を制御することによりこれを解決する必要がある。非バインダー型磁気記録媒体の表面性は、磁性層厚さが0.01~0.5μm程度と非常に小さいため、基板であるプラスチックフィルム等の表面形状に依存する度合が大きい。したがって従来、フィルムの表面性に関して多くの提案がなされてきた。・・・これらの例においては、いずれも表面形状を比較的微細に均一に粗面化せしめる、たとえば、しわ状突起を形成せしめることにより、ヘッドタッチ、走行性を一挙に改善しようとするものである。前述の例にみられる表面状態のものは、常温常湿でヘッドタッチ、ヘッド走行性に関しては非常に有効である。しかし、30℃80~90%RHといった高湿度中で回転ヘッドのシリンダー部品で鳴きを発生しやすいという欠点を有している。これを解決する手段として基板にポリエステルフィルムを使用し、その中に含まれているポリエステルオリゴマーを真空中で磁性層を形成せしめる際基板表面に微細結晶として析出せしめ、その上に磁性金属薄膜層を形成せしめると言った提案がすでになされているが、・・・得られる磁気記録媒体のエンベロープ特性に乱れを生じやすいといった欠点があった。また、・・・表面に熱可塑性の微粒子の突出したポリエステルフィルム上に磁性薄膜を形成せしめたものは走行性良好で画質も良好であるこが知られている。但し、この場合においては、記録密度を高くとるために磁気記録媒体の表面性を改善しようとしても、表面あらさが0.03μm以下になるとスティックスリップを生じ走行性が劣ってくる。」(同号証2頁7行ないし5頁2行)と記載されていることが認められる。
〈2〉 次に、本願出願時の磁気記録媒体の技術分野における技術水準についてみてみる。
(a) 「テレビジョン学会誌 第35巻第9号」(昭和56年9月1日発行)(甲第15号証の1ないし3)には、「短波長、例えば、1μmの波長において間隔損失を1dB以下にするには、ヘッド・テープ間隔は約200Åとなり、表面粗さの平滑なベースフィルムが要求される。蒸着テープは磁性層が薄く、表面粗さが直接的にヘッド・テープ間隔となるから、表面性は従来の塗布形より平滑でなければならない。」(同号証の2、734頁左欄5行ないし10行)と記載されていることが認められる。
(b) 「電子通信学会技術研究報告」(社団法人電子通信学会1982年2月16日発行)(甲第10号証の1・2)には、「ビデオテープの表面粗さは、テープとヘッド間の空隙損失からくる出力電圧の低下およびその空隙変動から生ずる変調ノイズに大きな影響を与え、従ってS/Nの大きな要因になっている。」(同号証の2、24頁右欄2行ないし5行)と記載されていることが認められる。
(c) 特開昭57-113418号公報(昭和57年7月14日公開)(甲第12号証)には、「近年高密度磁気記録用媒体として、バインダーを用いず、磁気記録層として金属薄膜を真空蒸着やスパッタリングの如き真空沈着法又はメッキ法によって非磁性支持体上に形成して、この強磁性金属を薄膜磁気記録材(と)したものが提案されている。・・・しかしながら形成される金属薄膜厚さが薄く、非磁性支持体の表面状態(表面凹凸)がそのまま磁性膜の凹凸として発現し、それが雑音の原因となることが欠点とされていた。雑音の観点からは、非磁性支持体の表面状態が出来るだけ平滑であることが好ましい。一方フィルム巻取、巻出しといったハンドリングの観点から、フィルム表面が平滑であると、フィルムーフィルム相互の滑り性が悪くブロッキング現象が発生し、製品にはなり得ず、また金属薄膜テープとした時、磁気記録ヘッドとテープ相互の滑りが悪く、再生出力電圧の変動が大きくまたテープが磨耗し易くなるためベースフィルム表面が粗であることが要求される。電磁変換特性という観点からは非磁性支持体の表面が平滑であることが要求され、ハンドリング性、走行性の観点からは粗であることが要求される。」(2頁左上欄末行ないし左下欄17行)と記載されていることが認められる。
上記(a)ないし(c)の各記載によれば、表面粗さによる磁気記録媒体とヘッドとの間のスペース損失が磁気記録媒体の出力特性に大きな影響を及ぼすものであって、磁気記録媒体の表面形状の制御が解決すべき課題となっていたことは、本願出願時、当業者には良く知られていたものと認められる。また、出力特性を優れたものにするには磁気記録媒体の表面をできるだけ平滑にすることが求められる一方、平滑にすればするほど走行性が悪化してしまう、という二律背反の問題があることも、本願出願当時、当業者にはよく知られていた事項であると認められる。
さらに、磁気テープの走行性と磁気記録媒体表面の平滑性の関係について、「社団法人電子通信学会磁気記録研究会資料(1969年9月)・磁気テープのSTICK-SLIP振動について」(甲第13号証)には、「磁気テープが走行中ヘッドまたはガイドローラなどと磁性層面との接触部分において付着一すべりが交互に連続的に生ずる現象が多く見られる。この付着一すべりの変換運動がしだいに高められ、ついにはテープの縦振動を励起する。これをSTICK-SLIP振動と呼ぶ。STICK-SLIP振動は磁気テープのいわゆる“なき”の主な起因でありまたビデオ・テープにおける再生画面ひずみの原因ともなる。振動が生ずると、その付着時において磁性層面に大きな接線応力が加わるので真実接触面積が増加し、このため静摩擦力が増大してテープの走行停止をまねくこともある。」(1頁)、「一般に、動摩擦力Fは次式により表される。
F=AS (6)
ここで、Aは摩擦しあう2面間の真実接触面積、Sはやわらかい方の面のせん断強さを示す。磁気テープの摩擦現象を広範囲にわたり観察した結果、磁性層面の動摩擦力を表わす主な項として(6)((7)は誤記と認める。)を適合できることがわかった。」(9頁)と記載されていることが認められ、この記載によれば、平滑化により走行が不安定となり、ステック・スリップ(鳴りの原因)の問題があること、磁気記録媒体の表面の動摩擦力が真実接触面積と比例する関係があることも、本願出願時において、当業者にはよく知られていたものと認められる。
しかして、本願出願時における上記のような技術常識を前提とすると、磁気記録媒体の表面の動摩擦力と真実接触面積とが比例することから、表面に高い山(h2)を形成して表面を粗くすると、その周囲にヘッドと接触しない領域が増し、真実接触面積が小さくなるから、動摩擦力が減少して走行性がよくなること、しかし、磁気記録媒体表面とヘッドとの距離(スペーシング)が大きくなれば、出力の低下が起こり、わずかな外乱要素の影響を受けやすくなり、その結果、エンベロープの乱れが発生しやすくなることは、当業者において当然理解できる事項であると認められる。
〈3〉 本願発明において、基板であるプラスチックフィルム面上に第1の粒子状突起(h1)と第2の粒子状突起(h2)を形成したことが磁気記録媒体としての表面性状を決定する要因となっているところ、第1の粒子状突起(h1)を相対的に大きな密度で基板の上に配置させることで、制御された真実接触面積を基本的に確保して再生出力特性を決め、これに対して相対的に大きな第2の粒子状突起(h2)を配置することで表面を粗くし、h2の回りのh1の真実接触面積を低下させて磁気記録媒体の走行性を改善しており、h1の密度をh2の密度よりも大きくする構成により、h1が磁気記録媒体の再生出力特性を決定する主要な要因となり、出力特性と走行性の両立を図っているものと認められるが、発明の詳細な説明中の前記「従来例の構成とその問題点」に関する記載、及び本願出願時における上記技術常識を基に本願明細書を読めば、本願発明の解決すべき課題と構成との関係は、2種類の粒子の平均高さ及び密度の具体的数値に言及するまでもなく定性的に明らかであり、したがって、本願発明の奏する作用効果も、本願発明における数値範囲の上限・下限の技術的意義を明示しなくとも理解可能であると認められる。
(3) そこで進んで、審決が、h1及びh2の数値範囲等に関して、本願明細書の記載に不備があると指摘した事項について検討する。
〈1〉(a) 30Å以下の核のみでは鳴き防止効果が得られ難いという具体的なデータが示されていないとした点(甲第1号証8頁7行ないし9行)について
本件全証拠を検討しても、磁気記録媒体の表面粗さに関して、30Å以下の核のみの小さい粒子状突起を取り上げて、直接的に言及している証拠はない。
しかしながら、甲第10号証の2の25頁に所載の図3や甲第11号証の7の144頁に所載の第13図によっても認められるとおり、一般的な(バインダーを用いる)磁気記録媒体の表面粗さはRrms表示で0.015~0.025μm(150~250Å)であること、前記のとおり、出力特性の優れたものを得るためには表面をできるだけ平滑にするのが好ましいこと、非バインダー型の磁気記録媒体は基板の表面粗さが磁性体表面粗さとして現れることを考え併せると、非バインダー型の基板の表面粗さとしては、150Å以下の粗さが好ましいものとして考慮され、150Å以下である30Åの表面粗さも好ましいものとして想定されるべきものと考えられる。ただし、一般に表面が平滑になればなるほど走行性が悪化すると認められる(甲第10号証の2には、「ベース面のRrmsが約0.035μmを境にしてそれ以下のところでは摩擦係数が急に大きくなっていく。」(25頁右欄下から9行ないし7行)と記載されている。)から、30Å以下の表面粗さであれば、真実接触面積は増大し、摩擦も大きく走行性に大きな影響を与えるものと認められる。ちなみに、本願明細書に記載された比較例10は、表面粗さ30Å以下にした平滑フイルム上に直接磁性層を蒸着した例であるが(甲第2号証19頁13行、14行及び23頁9行ないし11行)、この場合は「鳴き」が発生しており、この例によっても、テープ表面が平滑になり、30Å以下になると鳴きが発生しやすい傾向が認められる。
したがって、30Å以下で鳴き防止効果が得られ難いという具体的なデータが示されていないことをもって、本願明細書の記載に不備があるとすることはできない。
被告は、甲第10号証の2は、本願発明のような非バインダー型(強磁性薄膜)磁気記録媒体に関するものでなはく、バインダー型(塗布型)磁気記録媒体に関するものであり、ベースフィルム面の表面粗さがRrms表示で約0.035μm(350Å)以下のところでは動摩擦係数が急に大きくなっていくと記載されているだけで、この表面粗さのRrms(二乗平均値)表示は本願発明の粒子状突起の平均高さ表示とは異なるものである旨主張するが、甲第10号証の2の26頁に記載されている二乗平均値Rrmsの定義式によれば、平均すべき高さとして隣り合う山と谷の高さを採用しており、本願発明の平均高さ(甲第2号証6頁15行ないし20行)と比較して、表面粗さの指標としては同様のものと認められる。
(b) 500Å以上の核のみでは出力の低下やエンベロープの乱れを生じやすくなるという具体的なデータが示されていないとした点(甲第1号証8頁9行ないし11行)について
前記のとおり、磁性体表面粗さが大きいと出力特性に影響を与えることはよく知られているところである。
そして、一般的なビデオテープ(表面粗さが150~250Å)についての甲第10号証の2中の「いずれも磁性面粗さと相関があり、磁性面が平滑になるすなわち表面粗さの小さいPETベースを使えば、テープの磁性面光沢度およびカラーS/Nが良くなって行く。」(25頁左欄下から6行ないし3行)との記載及び同号証の図3によれば、磁性面の表面粗さが大きくなると、S/N比が低下する傾向があることが認められる。
また、「National Technical Report第28巻第3号」(昭和57年6月18日発行)(甲第11号証の1ないし8)には、「基板の表面は、・・・磁性層の形成される面が、基板の平滑さ以上に磁性膜表面が良くならないため、短波長記録での性能を向上させる面からも、500Å以下の表面粗さが要求される。」(同号証の2、124頁左欄下から7行ないし4行)と記載されており、これによれば、500Å以上の表面粗さでは短波長記録の特性を向上させるほどのS/N比が得られないことは当業者ならば理解できるところである。
そうすると、平均高さ500Å以上の核のみで粒子状突起を形成すると出力の低下やエンベロープの乱れを生じやすくなることについて、具体的データが示されていないからといって、本願明細書の記載に不備があるということはできない。
(c) 比較例(9)の出力結果が整合していないとの点(甲第1号証8頁11行ないし13行)について
被告は、この点に関して、「本願明細書には、500Å以上の核のみで粒子状突起を構成すると出力の低下を生じやすくなる旨記載されているが、比較例9は、平均高さ400Åであっても出力は-0.5dBと低下しており、比較例5は550Åであっても出力は0dBであり、上記記載と整合しない。また、比較例9の出力が低下していないというのならば、比較例5、比較例8ともに500Å以上の550Åの粒子状突起であるにもかかわらず、出力は低下していないことになって、やはり上記記載と整合しない。」旨主張する。
本願明細書(甲第2号証)によれば、比較例9は、平均高さ(h2)が400Åのもののみで、密度(ρ2)が1万個/mm2を用いた例であり、比較例5は、平均高さ(h2)が550Åのもののみで、密度(ρ2)が5000個/mm2を用いた例であることが認められる。比較例9の密度は比較例5の密度の2倍となっているところからみて、この粒子の密度の差に基づいて粒子状突起の作用に差が生じ、比較例5は550Åであっても影響が小さく、出力が0dBと出力低下はなく、逆に比較例9では粒子状突起の密度が大きく、その影響により出力が-0.5dBと出力低下を示しているものと考えられる。
したがって、500Å以上の核のみで粒子状突起を構成すると出力の低下を生じやすくなるという記載と比較例9の場合の出力結果とが整合しないとする審決の認定は理由がなく、被告の主張も採用できない。
〈2〉 h1が再生出力特性を決めること及びh2が走行性に働くことについては、何ら具体的なデータが記載されていないとした点(甲第1号証8頁18行ないし末行)について
前記(2)で検討したように、h1が再生出力特性を決め、h2が走行性に働くことについては、本願出願時の技術水準を考慮すれば、定性的に理解可能であると認められる。
そして、以下のとおり、本願明細書(甲第2号証)の表-1に記載されている動摩擦係数の測定結果に基づいて、実施例1と比較例6、実施例2と比較例7、実施例1及び実施例5(表-1の(11))と比較例6を対比して検討すると、h1が再生出力特性を決め、h2が走行性に働くことが理解できる。
実施例1と比較例6とを比較すると(実施例1は比較例6にh2(550Å:5000個)を加えたものに相当する。)、実施例1の動摩擦係数の変化率は10%であって、比較例6の動摩擦係数の変化率20%よりも小さいこと、実施例2と比較例7とを比較すると(実施例2は、比較例7にh2(550Å:5000個)を加えたものに相当する。)、実施例2の動摩擦係数の変化率は11%であって、比較例7の動摩擦係数の変化率50%よりも小さいことが認められ、これらの事実によれば、h2が走行性に働く要因であると認められる。
実施例1及び実施例5(表-1の(11))と比較例6とを比較すると(実施例1及び実施例5は比較例6にh2(550Å:5000個)を加えたものに相当する。)、いずれも出力に変化はなく、したがって、h1が出力特性の決定要因になっているものと認められる。
被告は、実施例1及び実施例5(両者共にh1=100Å、h2=550Å)と比較例5(h2=550Å)とを対比すると、出力特性に変化がなく、h1=100Åの追加により動摩擦係数の変動が少なくなり走行性を安定させることを示しており、実施例3と比較例8、実施例4と比較例9、実施例5と比較例12を対比する場合も同様に、h1の追加による出力特性への影響はなく、h1による走行性安定化の効果が示されていることになるから、h1が出力特性を決め、h2が走行性に働くとはいえない旨主張する。
確かに、上記の各対比においては、h1は走行性に寄与しているものと認められる。しかしながら、本願明細書には、「磁気ヘッドとの接触において、粒子状突起21、21′はその密度が大きいために、この粒子状突起の持つ平均高さh1は磁気テープ・ヘッド間の距離(スペーシングと呼んでいる)として主に寄与するものである。」(甲第8号証3頁13行ないし17行)と記載されていること、特許請求の範囲において、h1、h2の数値範囲が重複部分を含んで規定されていることからすると、h1が再生出力特性を決め、h2が走行性に働くというのも相対的なものと認められる。したがって、上記のようにh1が走行性に寄与する場合があるとしても、このことをもって、h1が出力特性を決め、h2が走行性に働くことを否定する根拠とすることはできず、被告の主張は採用できない。
〈3〉 平均高さh1が30Å以下のとき高湿中で回転ヘッド内のシリンダー部に鳴きが発生し、再生出力に安定性を欠くこと及び平均高さh1が200Å以上のとき磁気テープヘの録再で再生画質の劣化が顕著にあらわれることの具体的な根拠が示されていないとした点(甲第1号証8頁末行ないし9頁5行)について
前記(2)で検討したように、本願発明は、第1の粒子状突起(h1)を相対的に大きな密度で基板の上に配置させることで、制御された真実接触面積を基本的に確保して再生出力特性を決め、これに対して相対的に大きな第2の粒子状突起(h2)を配置することで表面を粗くし、h2の回りのh1の真実接触面積を低下させて、磁気記録媒体の走行性を改善しているものと認められる。
そして、前記〈1〉(a)に説示したところによれば、再生出力を決めるh1の平均粗さが小さくなり30Å以下であれば、鳴きが発生しやすくなり、テープの走行が不安定となって再生出力に安定性を欠くようになることは定性的に理解可能であると認められ、また、本願発明は、平均高さの小さい(30~200Å)単一の粒子状突起h1のみで構成するものではなく、これよりも大きい(100~600Å)粒子状突起h2を混在させるものであるから、小さい方の突起の最小値が30Åであることが技術的に不自然な数値であるとも考えられない。
次に、1μmの波長において間隔損失を1dB以下にするには、ヘッド・テープ間隔は約200Åとなることが要求されること(甲第15号証の2、734頁左欄5行ないし7行)、一般的な磁気記録媒体の表面粗さの上限は250Åであること(甲第11号証の7の第13図)からすると、平均高さh1の上限として200Åとしたことは技術的に理解できるものと認められる。
したがって、審決が指摘した上記の点について具体的な根拠が示されていないことをもって、本願明細書の記載に不備があるとはいえない。
〈4〉 平均高さh2が100Å以下のとき摩擦係数が極めて高くなり、600Å以上のとき摩擦現象により磁気ヘッドへの摩擦が顕著になる点についても、具体的な根拠が示されていないとした点(甲第1号証9頁6行ないし9行)について
本願発明のh2が100~600Åであることに関して、h2は走行性に働く突起であって、h1に付加されるものであるから、h1との相対的関係によっても規定されるものと認められる。
h1が下限値(30Å)をとるときを想定すれば、h2の下限値(100Å)はh1の3倍以上となり、h2の存在によりh1のみの場合に比較して真実接触面積が減少すると認められるから、前記(2)で検討した結果からみて、本願発明の作用効果を奏することが疑わしいということはできない。ちなみに、本願明細書には、「平均高さh1を30Å近くに小さく選択する場合、平均高さh2は平均高さh1の約3倍以上が望ましく」(甲第8号証4頁16行ないし19行)と記載されている。また、実施例1ないし3は、h1が100Å、h2が550Åのものであり、出力特性(平滑性)と走行性の両立を図るという本願発明の目的からすると、h2が600Å以上の場合の磁気ヘッドの磨耗について具体的データがなくとも、h1の上限値(200Å)に対してh2の上限値を600Åとすることが不合理であるとすることはできない。
したがって、審決が指摘した上記の点について具体的な根拠が示されていないことをもって、本願明細書の記載に不備があるとはいえない。
(4) 以上のとおりであるから、本願明細書に、特許請求の範囲に記載された第1及び第2の粒子状突起の平均高さの各数値範囲の限定事項と、両粒子状突起の相異なる平均高さ及び両突起密度の大小関係を特定することによる技術的意義についての具体的データが記載されていなくても、本願明細書の記載に基づいて本願発明を理解することは可能であり、発明の詳細な説明には、当業者が容易にその実施をすることができる程度に本願発明の目的、構成及び効果が記載されているものと認められる。また、特許請求の範囲に記載された本願発明は、発明の詳細な説明に記載された実施例により支持されており、実施例と比較例との対比検討等を行うことによって、数値範囲を含めてその目的を達成するための構成として妥当なものと理解できるから、特許請求の範囲には、発明の構成に欠くことのできない事項のみが記載されているものと認められる。
したがって、本願は特許法36条3項及び4項に規定する要件を満たしていないとした審決の認定、判断は誤りであって、原告主張の取消事由は理由がある。
3 よって、原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)